CRIME OF LOVE 10
 

「望美」
「ほしいのはあなただけ。ほかには何もいらない……」
 しかし続く声音は夜の大気を削ぐような鋭さで、凛とした表情で。
「その代わり、あなたのすべてを手に入れたい。体も心も魂も。過去も現在も、これから歩む未来も。あなたが選ぶ運命ごと、全部―――」
 やさしく溶ける睦言ではなく、永遠に呪縛するかのような苛烈さと厳粛さをこめて……。しかしそれは、確かに愛の告白に違いなかった。
 その気迫に思いがけず呑まれそうになり、知盛は目を見開いた。けれどしばらくの間をおいて彼の喉からゆっくりもれ始めた低い笑いは、やがて――いかにも楽しそうなものに変わっていった。
「……相変わらず、おまえには驚かされる。だが、そんなふうに熱い口説(くぜつ)を聞かされるのも悪くない……」
 知盛は頬にあてられた望美の手を自分の口の前に持ってくると、やわらかい手のひらに唇を当てた。
「あでやかな花なればこそ、凪いだ世界で咲き誇らせたいと思っていたが……」
 望美の手をつかまえたまま、自身の考えを打ち消すように吐息をついた。
「和にあっては和に憩い、乱にあっては乱に舞う、か……。なるほど、いずこに咲こうと花は花だ。血を糧に、風を薙ぐ花もまた……美しく、艶めかしかろう。俺も呆けて忘れかけていたな。おまえがどれほど貪欲な女かってことを」
 感嘆したように言いざま、望美の親指の付け根の肉を噛んだ。ぎりっとした痛みに表情を変えることもなく、手をあずけたまま望美は平然と答えた。
「ええ、あなたと同じくらいにね」
「……違いない。すべて、捨てるか?」
「うん。あなたがこの世界に来てくれた時みたいに」
「ああ……そうだったな」
 自分が噛んだあとを癒すようにぺろりと舐めてから手を離し、彼はぞくりとくるような凄みのある目を彼女に向けた。
「だが……あちらに帰ったら、おまえはどの道を選ぶつもりだ? 以前のように源氏側に組するか、それとも『平氏の神子』として、源氏にあらがう側に回るか……?」
「本当はもう一度私と戦いたいと思ってるんでしょう、知盛?」
 どこか挑発するように見返した望美に、知盛はうっすらと笑った。
「さて、な……。それにもたいそう心惹かれるというのが正直なところだが……」
 その瞳はなまめかしくも深みのある、紅がかった紫に変わっている。常は夕闇を映す彼の瞳が、まるで燃えゆく暁の空のようにも見えた。
「和議成らず平氏と源氏の戦さが続くならば、遠からず俺は源氏の神子と手合わせすることになるのだろうな。そしておまえの経てきた運命のほとんどでは、俺たち平氏は滅ぶ側、歴史の波間に消えていくさだめの一門だった……というのだろう? それはそれで、いっこうにかまわないがな……。
 だがもし平氏がおまえを得たなら、新たな歴史がどのような道筋をたどるものか……これもなかなか興味深い。それに華やかに剣ひるがえすおまえを隣に戦場を行くのは、さぞ楽しかろうと俺は思うが?」
「そうだね……。いったいどんな未来が待っているのか、私にもわからない。でもどういう運命を行くとしても、私はきっとあなたのそばにいるから。
 あなたの命は私が守る。太刀にも海にも奪わせない。あなたは私だけのものだもの」
 きっぱり言い切る望美に、知盛はやれやれと苦笑した。
「己の命すらも思うままにはならない、か……。それもまた一興。ならば敵の刃の前に立つ時は、せいぜい龍神の加護を受けさせていただくこととしよう。何せこれからの先行きがどうなるか、まったく予想もつかないんだからな……。
 なあ望美、いずれにせよ、おまえがいるなら退屈する暇だけはなさそうだ。戦場でも……それ以外でも」
 知盛はにやりとした。
「だが本当にいいのか。あちらの世界には甘い菓子など、そう、ないぞ?」
 先ほどの望美の言葉を思い出したように問う。砂糖もないあの時代、菓子は非常な贅沢品だ。高価な代金を払えば入手することはできるが、現代の菓子の多様な種類と味の豊富さにははるか遠く及ばない。彼のせいで望美が食べ損ねてしまったデザートのことが、ちらっと頭をかすめた。
 望美はくすくすと笑って彼を見上げた。恋人同士だけに通じる、艶めいたまなざし。
「そんなのかまわないよ。ほかにもっと甘いものを知ってるから」
「ああ。俺も……知っている」
 知盛は望美を引き寄せ、唇を重ねた。互いを互いに封印するような甘美で激しい口づけを交わしながら、望美はふたたび取り戻した恋人をその手で強く抱きしめた。
 生きていく、この人と。どんな時空(とき)であろうとも―――。
 繋いだ心を離すことは、もう決してないだろう。誰よりもしなやかな獣と駆け抜けるべき幾千の昼と夜が彼女を待っている。血と炎、嘆きと叫びに満ちた嵐の時代、動乱の大地が……。けれどそれは彼を愛するが故に拓(ひらか)れていく未来。恐れるものは――何もない。 
 ようやく口づけを解いた知盛は、まるで果てない罪に共に堕ちようと誘惑するかのように、腕の中の彼女にささやきかけた。
「俺のすべてはおまえのものだ。……来いよ、望美。俺の……神子殿」
「うん、行くよ。どこまでもあなたと一緒にね―――」
 見惚れるほどに鮮やかな笑みが、永遠へと続く答を知盛に返した。 




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